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生涯を添い遂げるマグ 生涯を添い遂げるマグ

MUG. hand made by pottery craftsman

Craftsman #13
越中三助焼
谷口均
谷口由佳
越中三助焼窯元
富山県砺波市

CRAFTSMAN:
Hitoshi Taniguchi
Yuka Taniguchi

CATEGORY:
Ecchusansuke Yaki

POTTERY:
Ecchusansukeyakikamamoto

LOCATION:
Toyama, Tonami City

photo photo

砺波平野の散居村に6代続く窯元
自給自足のものづくりにこだわる

始まりは屋根瓦から
日本でも最大規模の散居村として知られる砺波平野。のどかな田園風景が広がるなか、ぽつんとたたずむのが、明治時代から150年余りの時を重ねてきた窯元、越中三助焼です。
5代目の谷口均さん 、6代目の谷口由佳さんへのインタビューを通して、窯元の歴史を紐解いていきます。
越中三助焼の名称は、初代・谷口三助の名前に由来します。創業時、周辺には屋根瓦を焼成する業者が点在しており、初代もその一軒として始めたそうです。
瓦のかたわら、陶器の製造を始めたのは2代目からでした。瀬戸から回ってきた職人に教えを受け、瓦を焼く窯で壺や鉢、皿などの生活道具をつくり始めます。当初は、瓦を注文した顧客への新築祝いなどの需要が中心でした。
この2代目は風変わりな人物だったようで、瀬戸焼の技法をベースにしながらも、独自の作風を追求していきました。たとえば、近隣の射水市には、緑釉を特徴とする小杉焼があります。こちらを参考に研究、開発を重ね、3代目の時代に、現在まで続く越中三助焼の代名詞ともいえる、淡く深い緑色の釉薬が完成しました。
中央の奥に見えるのが、越中三助焼の窯元

「三助焼」の看板が目印

民藝関係者との出会い

砺波市の南には南砺市があります。こちらは、民藝の創始者である柳宗悦が城端の善徳寺に逗留し、『美の法門』を書き上げたほか、板画家の棟方志功が福光の光徳寺に疎開するなど、民藝とゆかりの深い土地として知られています。
3代目の時代には、棟方や柳、濱田庄司、バーナード・リーチらが越中三助焼を訪れるなど、交流があったそうです。この頃から、窯元は焼きものの製造に専念するようになりました。

「棟方さんから板画をたくさんいただいたみたいだけど、気前よく人にあげてしまったようで。数枚は残っているかな」と、均さんと由佳さんは笑いながら教えてくれました。

現在は4代目・5代目・6代目の三世代で、日々、焼きものづくりに励んでいます。分業制ではなく、それぞれがつくりたいものを手がけているのだとか。越中三助焼の伝統に根差しながらも、作り手ごとに異なる個性が感じられます。

5代目の均さんが窯に入ったのは、23歳のとき。先代の作陶を間近で見て、学び、数をこなすことで技術を身につけていきました。40年以上にわたり焼きものに携わるなかで、湯呑みや酒器、茶道具、さらに花器といった装飾品から、近年では、湯呑みではなくコーヒーカップ、徳利ではなく焼酎やビール用のマグなど、つくるものにも変化が生まれています。

伝統に女性らしさを加味して

長女の由佳さんは、歯科衛生士の専門学校を卒業後、3年ほど勤め、24歳のときに6代目として窯を継ぐことを決意しました。

「継ぐ人がいなかったから」と、由佳さんはさらりと語りますが、その言葉の裏で、均さんの胸中は決して穏やかなものではなかったといいます。

「私が始めた頃と、今とでは時代がまったく違います。あの頃はほんとうに恵まれた時代でしたから。継ぐと聞いたときは、正直、大変だなあと思いました」(均さん)

近年は若い世代の客が増えたこともあり、食器類を中心に、やわらかな印象のフォルムや、日々の食卓に取り入れやすいうつわの開発にも取り組んでいます。手にしたときの感触や、盛りつけたときの見え方など、女性ならではの感覚が随所に生かされているのだそうです。
主婦として、また子育てを経験するなかで培われた実感は、机上のデザインではなく、暮らしの目線から生まれるもの。そうした感覚がうつわづくりに反映されることで、越中三助焼の伝統は守られるだけでなく、今の生活へと静かに開かれていきます。


左の2点(急須・鴨徳利)は3・4代目の作品。均さんによると、3代目は左利きだったため、右利きでも左利きでも使えるよう、取っ手のない急須をつくったのではないか、とのこと。
真ん中の2点(コーヒーカップ・ビアマグ)は5代目・均さんの作品、右の2点は6代目・由佳さんの作品です。父娘のあいだでも、高台の有無など、うつわのかたちは少しずつ変化しているそうです。
右下の愛らしいフォルムの小鉢は、りんごをモチーフにしています

自前の陶土、釉薬へのこだわり

越中三助焼は、今も昔も変わることなく、民藝の精神を大切にしています。土や釉薬の原料には地元のものを用い、土づくりから釉薬づくり、焼成に至るまで、すべての工程を自分たちの手で行ってきました。

土については、かつて粘土層の近くで工事が行われた際に確保しておいた原土があり、必要に応じて、自分たちで水簸を行い、不純物を取り除き、保管、乾燥の工程を経て、陶土に仕上げます。
釉薬についても同様で、近隣の農家の協力を得ながら、木灰や藁灰などを自前で用意しています。自然の恵みを分け合いながらつくられる釉調は、風土そのものを映し出しているかのようです。


土づくりは自分たちの手で行います。中央の鉢に原土と水を入れて攪拌します
攪拌が終わると、奥の鉢へ移し、ふるいにかけて不純物を取り除きます
沈殿した原土を手前の槽に移し、水分を抜いていきます。水分が抜けたら地下室へ運び、最低でも3か月ほど寝かせます。こうして、ようやく陶土として使えるようになります。長く寝かせ、熟成させるほど、より使いやすい土になるそうです
焼成にはガス窯を使用。窯の上に並ぶ藁灰は、半年から1年ほど寝かせてから用いるのだそうです。そうすることで、独特の色合いや風合いが生まれるのだとか

焼成にはガス窯を使用していますが、近頃の悩みといえば、煙が上がると、通りがかった人から苦情が寄せられることだそうです。かつては一日中、焼成を行っていましたが、現在は30分から1時間で終えられるよう、工夫を重ねています。

明治の頃からこの土地で作陶を続け、「となみブランド」にも選定されている越中三助焼。その歩みやものづくりへの姿勢に対する理解が、これからさらに深まっていくことを願わずにはいられません。

「三助」の名前は継承していかないのか——そう尋ねると、均さんは笑いながら、こう答えてくれました。

「そんなことはしませんよ。たいそうな窯じゃありませんから。ただ、時代に応じて形状が変わることはあっても、つくり方や色、特に緑釉だけは変えられませんね」


Wired Beans
「生涯を添い遂げるマグ」との
取り組み

Wired Beansからマグカップの製作の依頼を受けた際の心境について、話を聞いてみました。

「うちは、あまり断ることはしませんから。やってみないとわからない、というのが正直なところでしたね」(均さん)

一方で、由佳さんは少し違った視点をもっていたようです。

「取っ手が大変そうだなあ、と思いました」(由佳さん)

今回、製作をお願いしているのは2種類。越中三助焼の伝統を受け継ぐグリーン1色のタイプと、グリーンとホワイトの2色のかけ分けのタイプです。
自然の原料からつくった釉薬と焼成によって生まれる、緑釉のムラやゆらぎ。その表情を楽しめるマグカップの完成が、今から待ち遠しく感じられます。

作陶中の谷口均さん

誠実なものづくりは続く

飾らず、驕らず、誠実な姿勢で作陶に向き合うお二人。そのうつわは、知らず知らずのうちに、多くの人々の心を惹きつけていたようです。

「2000年とやま国体」の際には、雅子さまが皇太子さまとともに富山県を訪問し、越中三助焼の急須と湯呑みのセットを求められました。
また、2024年に放送されたテレビ朝日系列のドラマ「アイのない恋人たち」では、作中で越中三助焼のうつわが使用されました。

特別なことを狙わず、日々の暮らしのためのうつわを、ただ真摯につくり続けてきた結果が、思いがけないかたちで人々の目に触れてきたのでしょう。

時代の変化に、そして使い手の暮らしにそっと寄り添いながら——
父と娘のものづくりは、これからも静かに、この砺波の地で続いていきます。

工房の様子。奥の壁にかかるのは、越中三助焼のうつわが使われたドラマ「アイのない恋人たち」のポスターが貼られています

越中三助焼・越中三助焼窯元
Ecchusansukeyaki Ecchusansukeyakikamamoto
住所

〒939-1436
富山県砺波市福山326

TEL

0763-37-0126

WEB

https://sansukeyaki.com

生涯を添い遂げるマグ 越中三助焼

富山県砺波市の伝統、越中三助焼。
越中三助焼窯元・谷口均氏と由佳氏が手がけるマグは、明治期から代名詞とされる淡く深い「緑釉」を用い、一色使いのタイプと白地との対比が美しい「緑釉流し」の2種で製作。
豊かな風土と職人の誠実な手仕事が宿る、日々の暮らしに寄り添う一生もののマグです。