CRAFTSMAN:
Nidai Seiho
Sandai
CATEGORY:
Kishu Yaki
POTTERY:
Aoigama
LOCATION:
Wakayama, Nishimuro County,
Shirahama Town
CRAFTSMAN:
Nidai Seiho
Sandai
CATEGORY:
Kishu Yaki
POTTERY:
Aoigama
LOCATION:
Wakayama, Nishimuro County,
Shirahama Town
1956(昭和31)年には、紀州の名産である那智黒石を釉薬に用いた「那智黒釉」を生み出しました。艶消しの淡い黒色と、しっとりと手に馴染む肌触り、さらに使い込むほどに優美さが増す風合いが評判を呼び、三千家をはじめ、各家元に認められます。以降、茶道具を中心に製作を続けることになりました。
現在の窯主である2代栖豊(寒川次郎)は、19歳でこの道に入り、父のもとで修業を積みました。
「もともとは外に修業に出ようと思っていたんです。京都の作家のところにもお願いしに行きました。でも、そのときに『お父さんのところのほうが、よほど厳しいし、倍以上勉強できるで』と言われて。それなら、ここでやろうと決めました」
外に出るのではなく、あえて家業のなかで技を磨く。その選択の背景には、家に蓄積された技術と経験への信頼がありました。
修業時代は厳しく、技術は基本的に「見て覚える」もの。言葉で教えられることは少なく、失敗には容赦がありません。
「一生懸命つくった茶碗をね、全部割られたことがあるんです。『こんなもん、いくらでもできるやろ。1日1個でええから、本当にええもんをつくれ』って言われてね。そのときは腹が立ちましたよ。でも、今思えば、あれが一番勉強になりました」
量より質を重んじる姿勢は、そのまま茶陶の本質でもあります。
紀州焼葵窯の製作の中心は茶道具、とりわけ茶碗です。日常のうつわとは異なり、茶碗には極めて高い総合性が求められます。
「茶碗はね、ただかたちがきれいとか、色がいいとか、それだけではあかんのです。“この茶碗で一服飲みたいな”と思わせるものでないといけない。手に持ったときの重さ、口に当たったときの感触、高台の削り方まで、全部が関係してくるんです」
その言葉の通り、茶碗は視覚だけでなく、触覚や使用感を含めた総合的な体験として評価されます。使う人の身体と密接に関わるうつわであるからこそ、細部にまで神経が行き届いていなければなりません。
理想とするのは、桃山時代の茶陶に見られる、おおらかさと緻密さの共存です。
「ぱっと見はね、ラフでおおらかに見えるんです。でも、ひっくり返して高台を見たら、うわ、すごい仕事してるな、と思わせる。そういう茶碗が理想です。簡単そうに見えるけど、あれはほんまに難しいんですよ」
自然体に見える造形の裏に、積み重ねられた技術が潜んでいます。
茶道具の製作では、伝統的な形式の理解も欠かせません。たとえば、井戸茶碗には、細かな約束事があります。自作の井戸茶碗を手に取り、説明していただきました。
「これやったら、目跡(うつわを重ねて焼成するときに、釉薬が付着するのを防ぐために置かれる砂や土の小さな塊によってできた跡)が4つあって、高台を横から見たら竹節みたいになっていて、口縁は樋口っていうて、樋の口みたいに切廻しがあるんよ。そこそこの重量もなかったらあかん。そういう決まりごとをちゃんと押さえておかんと、お茶の先生は使ってくれません」
こうした形式を踏まえたうえで、どこに作り手の個性を出すか。そのせめぎ合いのなかで、作品の独自性が生まれます。
技法の面では、ろくろ成形を中心に、釉薬の調合や焼成によって多様な表現を追求しています。登り窯も自ら築き、炎の力を最大限に活かした焼成を行ってきました。
「同じ窯のなかでもね、置く場所によって色が変わるんです。根元のほう、上のほう、中間、それぞれ違う表情になる。それを読みながら焼くのがおもしろいし、難しいところでもあります」
また、土は地元のものを積極的に使用しています。白浜や湯浅の周辺の土は、それぞれに性質が異なり、作品に独特の風合いをもたらします。
「昔はね、このあたりの山の土を自由に採ってきて使えたんです。場所によって全然違うから、それを使い分けるのも楽しみでした」
土地の素材と炎の作用が重なり合い、一つとして同じもののない表情が生まれます。
しかし、焼き上がったときが完成でありません。使い込まれることで、だんだんと手に馴染み、表情も変化していきます。
「それでやっと、“いい茶碗やな”と思えるようになるんです」
茶道具を取り巻く環境は大きく変化しています。茶道の人口の減少により、注文は減り、個展の機会も少なくなっています。
そのなかで、3代目となる息子が新たな役割を担い始めています。大阪芸術大学で陶芸を学び、外での経験を経て戻ってきた彼は、現在、父との分業体制を築いています。
「正直に言うと、最初は陶芸がそんなに好きではなかったんです。でも、『継ぐのはお前しかおらん』と言われて、それならやってみようと。今は少しずつおもしろさがわかってきました」
さらに今後については、体験型の取り組みも視野に入れています。
「これからは作るだけじゃなくて、体験してもらうことも大事やと思っています。観光で来た人に実際に土に触れてもらう。そういう方向も考えています」
こうした流れのなかで進められているのが、Wired beansとの取り組みです。茶陶の技術を日常のうつわへと展開する試みとして、マグカップの製作が進められています。
「マグカップでもね、ちゃんとした“作品”にしたいんです。紀州らしさも出したいし、使いやすさも大事にしたい」
2種類の製作を依頼したうち、一つが梅の灰を用いた釉薬です。
「紀州といえば南高梅が有名ですから、その灰を釉薬に使いたいと考えています」
もう一つが、内側を白、外側を黒にかけ分けたものです。
「口のところの白と黒のかけ分けがね、なかなか難しいんです。きれいにやろうと思うと手間がかかるし、量産とのバランスも考えないといけない。でも、その揺らぎも含めて味として見てもらえたらと思っています」

徳川家の家紋「葵」を冠し、紀州焼を継承する茶陶「葵窯」によるマグは、紀州名産・南高梅の灰を用いた「梅灰焼き締め」と、代々自作する釉薬でかけ分けた「白黒マット」の2種を製作。2代栖豊と3代目による手仕事の結晶となる、日常に寄り添う一品です。
最後に2代目は、こう語ります。
「茶碗づくりはね、ほんまに終わりがないんです。“もうこれでええ”と思ったら、そこで終わってしまう。だから、死ぬまで勉強やと思っています」
その言葉には、伝統を守るだけでなく、常に更新し続ける姿勢がにじんでいます。紀州焼葵窯は、長い歴史のなかで培われた技と精神を受け継ぎながら、新たな時代へと静かに歩みを進めています。