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生涯を添い遂げるマグ 生涯を添い遂げるマグ

MUG. hand made by pottery craftsman

Craftman #06
小峰焼
泰田久史
八衛門窯
宮崎県東諸県郡綾町

CRAFTMAN:
Hisashi Yasuda

CATEGORY:
Komine Yaki

POTTERY:
Yaemongama

LOCATION:
Miyazaki, Higashimorokata County,
Aya Town

photo photo

作家として、
幻の小峰焼の復元者として
宮崎に工芸を
根づかせていきたい

陶芸との出会い

焼きものがさかんな九州において、宮崎県には代表的な産地がありません。その“空白地帯”において、「八衛門窯」で自身の作品を発表しつつ、幻と呼ばれる「小峰焼」の再興に取り組む一人の陶芸家がいます。県北の延岡市の出身で、現在は綾町に工房を構える泰田久史さんです。
焼きものを生業にしている人は、家業を継承するか、あるいは自らが望んで窯元で修業を積むか、学校で学ぶか、といったケースがほとんどです。しかし、泰田さんのケースはそれらのどれにも当てはまりません。地元の高校を卒業後、泰田さんは鹿児島大学教育学部に入学します。2年生に進級し、専門の教科を選択することになりました。配布された用紙に、第1希望の国語のほかはその場の思いつきで音楽と美術を記入したところ、国語は希望者が多く、まさかの第3希望の美術になってしまいました。困り果てましたが、さらに専門のジャンルを決めなければなりません。

「美術なんて学校の授業以外にやったことないし、いい成績をとった記憶もない。絵画や彫刻とか恥ずかしくてたまらんわけですよ。でも、陶芸ならみんな素人だろうし、恥ずかしくないんじゃないか、っていう逃げのような理由で選んだんです。でも、思いがけず陶芸は自分にあっていて、はじめてものづくりがおもしろいと感じました」

小学校教諭免許と中学校美術教諭免許を取得して大学を卒業すると、日南市の小学校に赴任します。田舎での一人暮らしで時間を持て余し、近所の人の倉庫を借りて、窯を購入し、昔の焼きものを参考に作陶を始めました。

「公募展に出すと、入選しました。今思うと、宮崎は陶芸をする人が少なく、全国レベルじゃなかったんでしょうが……。でも当時は、プロでやれるんじゃないか、という勘違いが生まれていました」

小学校を3年間で辞めたあと、今度は中学校で5年間、美術を教えました。そのあいだも作陶を続けながら、焼きものの書籍を読み漁り、南九州の窯元をめぐりました。出会った陶工に独立について相談すると、「できるよ」というポジティブな反応ばかり。その気にさせられた泰田さんは、1996年、綾町に八衛門窯を開きました。

陶芸や工芸から、教育、郷土史などまで、幅広いジャンルの本が並ぶ本棚

八衛門窯について

中学校を辞めて、綾町に窯を開くまでには多くの苦労がありました。その経緯について、お聞きしました。

「思い切って独立したものの、理想と現実を突きつけられました。工房を探したのですが、お金はどんどんなくなるし、貸してもらえないし、アパートでやっていました。それが綾町に行ったら、うちは工芸に力を入れているからぜひ来てください、って言ってもらえて。親戚の援助もあり、綾町でやっていくことにしたんです」

八衛門窯の作品は陶器で、特徴としてはブルーを基調にしたものが多く、それらは青空や雲海、天孫降臨の神話など、宮崎という土地からインスピレーションを得ているそうです。
工程としては、機械は使わずに、電動ろくろを用いるか、紐づくりで成形し、素焼き、釉薬がけ、本焼きで完成です。素焼きと本焼きにはガス窯を使用します。
釉薬については、土や灰、顔料を混ぜたものを何種類か用意しておき、スプレーに入れて吹きつけ、グラデーションを出します。食器よりは花器などが多く、そうした立体物のほうが自身の作風を表現しやすいのだとか。


紐づくりの技法で、花器ができるまでの工程を見せていただきました。
まず、底の部分を決めます
土を長細く、紐状にして積んでいきます
かたちを整えていきます
焼成にはガス窯を使います
幻の小峰焼

泰田さんには、3つの肩書きがあります。教育者、八衛門窯の窯元、そして小峰焼の復元者です。
小峰焼の復活の物語は、2009年7月にさかのぼります。当時、泰田さんは聖心ウルスラ学園短期大学の美術講師として延岡に帰郷していて、同市内のギャラリーで個展を開催中でした。そこで、地域の歴史を研究していた甲斐盛豊さんと出会い、「小峰焼を復活させてみらんですか」と誘われます。甲斐さんは小峰町の出身で、小峰焼を復活させて、延岡の地域おこしをしたいと考えていたのです。

「私は安請け合いする癖があるもんですから、やってみます、ってすぐに返事しました」


小峰焼窯跡(写真:泰田久史さん提供)
小峰焼の陶工の墓(写真:泰田久史さん提供)

2人を中心に多くの人の協力を得ながら、プロジェクトは動き出しました。文献を集め、窯跡や陶工の墓などの調査を進めていくと、多くのことがわかってきました。
前期は陶器、後期は磁器が焼かれていたこと、南九州で最大級の窯であったこと、開窯の時期については1730年頃から19世紀半ばと考えられること、など。そして土の採掘にも成功し、2011年、泰田さんの手によって幻と呼ばれた小峰焼を復元させたのです。
詳細については、泰田さんの著書『幻の小峰焼(延岡内山焼) 地域創生と教育・保育の視座』をお読みください。

現在では、小峰焼は延岡のふるさと納税の返礼品に選ばれています。さらに、延岡で個展を開いた際に、小峰焼を並べると売れ行きがよく、地元の人々からの期待を感じるそうです。

写真上/伝世品・小峰焼(陶器)のうんすけ。甲斐盛豊さん蔵(写真:泰田久史さん提供)
写真下/復元・小峰焼(陶器)。泰田久史さん製作(写真:泰田久史さん提供)

伝世品・小峰焼(磁器)。(写真:泰田久史さん提供)

Wired Beans
「生涯を添い遂げるマグ」
との取り組み

Wired Beansが地域性を重視していることもあり、八衛門窯ではなく、小峰焼でマグを製作することになりました。さらに小峰焼には陶器と磁器がありますが、陶器の土が粗く、量産には向かないという理由から、品質が安定する磁器でお願いしました。
完成したマグを拝見すると、全体が漆黒で、小峰焼の特徴である藁灰がかかり、渚のようなオリジナルの模様が加わっています。さらに、窯で実験した結果、黒の代わりに青も出せそうなのだとか。

「聖心ウルスラ学園短期大学のあとも、宮崎学園短期大学保育科の教授を務め、60歳で辞めました。やっぱり教えるのが好きなんですね。でもこれからは焼きものに注力し、県外でも積極的に個展などをやっていきたいですね。Wired Beansのお話はそのチャンスのように感じて、ぜひやらせてほしいと思いました」


八衛門窯として発表している作品。釉薬の吹きつけによるグラデーションが特徴です

子どもたちが地元を誇れるように

最後に、これからのことについて尋ねてみました。自身の作陶のことだけでなく、その眼差しは、子どもたちや地域の未来にも向けられていました。

「焼きものを始めた頃は、有田焼などの伝統的な産地はノウハウの蓄積もありやっぱり強いな、うらやましいな、と痛感しました。でも、宮崎にいるからダメとは思いたくなくて、日展(日本美術展覧会の略称)に出展し続けました。日展は入選が10回を数えると会友になれるんですが、宮崎でも陶芸ができることを証明したくて、そこまでは頑張りました。ただ、販路とか、地域ブランドとかは劣っている部分はありますね。だから、綾町でも延岡でも地元から焼きものや工芸を発信して、もっと知ってほしいし、子どもたちが地元を誇れるようにしていきたいですね」

泰田“先生”の挑戦は、まだまだ続いていきます。

小峰焼・八衛門窯
Komineyaki Yaemongama
住所

〒880-1302 宮崎県東諸県郡綾町北俣999-3

TEL

090-3607-0672

生涯を添い遂げるマグ 小峰焼

かつての宮崎県延岡市で栄えた幻の焼きもの「小峰焼」を復元した、八衛門窯・泰田久史氏が手掛けるマグ。漆黒の磁器に藁灰が織りなす渚のような景色が浮かび上がり、力強さと繊細さを併せ持つ逸品です。