CRAFTSMAN:
Osamu Sawada
CATEGORY:
Kutani Yaki
POTTERY:
Sawadashoten
LOCATION:
Ishikawa, Nomi City
CRAFTSMAN:
Osamu Sawada
CATEGORY:
Kutani Yaki
POTTERY:
Sawadashoten
LOCATION:
Ishikawa, Nomi City
その後、18世紀中頃になると九谷焼は再び生産が始まり、「再興九谷」と呼ばれる新たな展開が加賀藩のもとで進められました。各地にいくつかの窯が発展し、木米・吉田屋・飯田屋・永楽・庄三といった代表的な系統が生まれます。これらの窯はそれぞれ独自の作風を確立し、九谷焼の多様性を形づくりました。
たとえば、「木米」は全面に赤を用い五彩で人物を描く中国風の様式、「吉田屋」は古九谷のスタイルを継承した作風、「飯田屋」は赤絵の具による細密な人物と小紋を描き、そして部分的な金彩が特徴です。「永楽」は豪華な金彩が際立ち、「庄三」は九谷焼の主要な技法を網羅した今日の主流となる作風です。こうした流派の発展によって、九谷焼は再び全国的な名声を得ていきました。
明治時代に入ると、九谷焼は輸出用陶磁器としても注目され、ヨーロッパやアメリカへ数多く輸出されました。特に金彩や赤絵の繊細な文様は「ジャパンクタニ」と呼ばれ、海外でも高い評価を受けました。この時代には、従来の伝統的な様式を踏まえながらも、西洋的なデザインや写実的な表現を取り入れるなど、新しい試みも進められました。
現代の九谷焼は、伝統的な五彩や金彩の技法を受け継ぎつつ、現代美術やデザインの感性を取り入れた作品が生み出されています。日常の食器として親しまれる一方、美術工芸品として国内外で高く評価されるなど、その表現の幅はさらに広がっています。
写真/石川県能美市にある「九谷陶芸村」。九谷焼の歴史や製作工程を学べる「KAM能美市九谷焼美術館|五彩館」や、名品を間近に鑑賞できる「浅蔵五十吉記念館」、絵付けや作陶体験が楽しめる「体験館」をはじめ、九谷焼の店舗が軒を連ねています
九谷焼の製法は、分業制によって支えられています。工程は大きく、成形・素焼き・下絵付け・上絵付け・本焼きに分かれ、それぞれ専門の職人が担当します。
原料には、石川県能美市周辺で採れる良質な陶石を用い、粉砕、精製して粘土状にしたものを使います。
「成形」は型やろくろを使ってかたちを整える作業で、造形の美しさと均整が求められます。その後、約800度で「素焼き」を行い、絵付けがしやすい状態にします。
写真/おもに白生地の成形を行う、旭山窯の工房
次に、絵付けの下書きを施す「下絵付け」が行われますが、九谷焼の特徴はおもに「上絵付け」にあります。上絵付けでは、素焼きのあとに釉薬をかけ、さらにその上から五彩や金彩を用いて絵を描きます。絵付けには筆づかいの精密さと色彩感覚が求められ、職人の個性がもっとも現れる工程です。絵付けが終わると約800度で「本焼き」を行い、釉薬と色絵を定着させます。
また、絵付けの代わりに「転写」の技法も用いられます。素人目には、絵付けと見分けられないほど、精巧なものもあります。
写真/絵付けの様子
分業制が一般的な九谷焼においては、全体の工程を管理する商社の役割が重要になります。沢田商店は1919年に創業した九谷焼の商社で、現在は5代目の沢田修さんが長く経営を担っています。
「関西の大学を卒業して、すぐに家業に入りました。大学ではいろいろな誘いもありましたが、親父を助けなければ、と思っていましたね。うちは、初代がろくろ職人で、しばらくは製作を中心に行っていましたが、先代の親父の代から商売を始めました。僕が会社を継いだのが1971年のことで、そのタイミングで法人化しました。現在は、生地づくり、絵付け、焼成といった製作工程の管理から、卸販売までを手がけています」
九谷焼は明治期、ヨーロッパ向けのランプベースとして大きな需要が生まれ、絵付け職人は約600人に上ったといわれています。沢田商店もその伝統のなかに身を置きながら、時代の変化に対応してきました。
しかし、バブル崩壊後には、贈答用の壺や花瓶などの需要が急速に減少し、業界は大きな転換点を迎えます。同社も例外ではなく、空間を飾る装飾品からマグカップ・湯呑・小皿といった「日常使いのうつわ」へのシフトを余儀なくされました。
この転換を困難にしたのが、食器として求められる安全基準への対応でした。従来の九谷焼の絵の具は鉛を含むものがあり、文科省の規制により、鉛が溶出しない新しい絵の具や転写技術の開発が不可欠となりました。沢田社長も、「あのときは、一番難しかったな」と振り返ります。同社は県や工業試験場と協力し、約5年をかけて、日常食器として安心して使える九谷焼を生産する体制を整えました。
販路の面でも大きな変化がありました。かつて主力であった百貨店や問屋は時代とともに衰退し、現在では、東京ドームの「テーブルウェア・フェスティバル」や名古屋の「やきものワールド」など、直販のイベントが重要な販売機会となっています。沢田商店は30年以上にわたり、こうした催事に出展し、消費者の声を直接取り入れながら商品開発を続けています。
自社ではさまざまな商品を開発していますが、なかでもとりわけ人気なのが「ヤモリ」だといいます。
「日本ではヤモリは害虫を食べることから家を守る幸せの象徴とされ、『家守』と書かれることもあります。特に縁起が良いのが白いヤモリ。玄関先に置いてもらうといいですよ」
Wired beansとの取り組みは、東京での展示会での出会いから始まりました。
沢田商店にとって、企業からの開発依頼は慣れたものですが、生地と釉薬の剥離が見られるなど、素材の検証を重ねながら、量産に向けて慎重に進めています。70代の半ばを迎えてもなお、沢田社長は、精力的にものづくりに取り組んでいます。
九谷焼を代表する色柄を取り入れたマグカップが誕生する予定です。
〒923-1112 石川県能美市佐野町ク100
0761-57-0303

約370年の歴史を誇る日本を代表する色絵磁器「九谷焼」。分業制を支える九谷焼の商社「沢田商店(九谷暁堂)」の工程管理のもと、職人たちの手で製作されるマグは、九谷焼の代表的な意匠である「石畳紋」「鶴カルタ紋」「牡丹紋」の3種を展開。伝統的な九谷焼の古典柄に、職人が手仕事で色付けを施すことで、「五彩」や「青手」など伝統の色彩美を日々の暮らしで安心してお楽しみいただけます。
現在の九谷焼の市場は、バブル期の約200億円から約45〜50億円へと縮小し、窯元やメーカーも40社ほどに減少しています。そのような環境において、沢田商店は約100名の職人と継続的に関わり、分業制を支えています。また、社長の家族も九谷焼に携わり、息子は独自の窯を構え、嫁は作家として活動するなど、九谷焼の文化の継承にも力を注いでいます。
沢田社長は、これまでの歩みを振り返りながら、同社の今後について穏やかに語ってくれました。
「後継者としては、伝統工芸士として活動している息子がいますが、工芸の道に専念するか、店を継ぐかはまだわかりません。事業自体は続けられますが、決して儲かる商売ではありませんから」
一方で、九谷焼の未来には明るい兆しもあります。コロナ禍以降、室内で過ごす時間が増えたことから、うつわやインテリアへの関心が高まり、「やり方次第でおもしろくなる」と社長は前向きに語ります。以前はアジアからの訪日客が中心でしたが、最近は欧米を中心に外国人観光客も増加。地方の魅力を再発見するリピーターも多く、沢田商店には新しい風が吹き込んでいます。