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生涯を添い遂げるマグ 生涯を添い遂げるマグ

MUG. hand made by pottery craftsman

Craftsman #11
尾戸焼
谷信一郎
谷製陶所
高知県高知市

CRAFTSMAN:
Shinichiro Tani

CATEGORY:
Odo Yaki

POTTERY:
Tani Seitosho

LOCATION:
Kochi, Kochi City

photo photo

自ら土を掘り、陶土を精製
土地の暮らしに根ざした
日常のうつわ

尾戸焼の歴史
高知駅や、高知を代表する観光名所・はりまや橋からほど近く。交通量の多い道路から脇へ入った場所に、ひっそりとたたずむ小丘・能茶山があります。この地で、尾戸焼の窯元の一つである谷製陶所の歴史は、連綿と受け継がれてきました。 尾戸焼の歴史は、1653(承応2)年にさかのぼります。
土佐藩主・山内忠義の命により、大阪から陶工・久野正伯を招き、高知城の北側の尾戸(現在の小津町)に、御庭焼(大名や公家が趣味や茶の湯のために窯を築いて焼かせた陶磁器の総称)として開窯されました。当時は能茶山から陶土を運んでいましたが、1820(文政3)年に窯が能茶山に移され、幕末までの約50年間は磁器も焼かれていたといいます。
明治に入ると民営化され、能茶山の周辺に複数の窯元が開かれましたが、現在は土居窯と谷製陶所の2軒が、尾戸焼の伝統を守り続けています。
お話をうかがった谷製陶所の5代目・谷信一郎さんは、こう語ります。
「明治になって民間で焼いてもいいようになり、谷製陶所は始まりました。土の量が限られていることもあり、最盛期でも6、7軒ほどでした」
谷製陶所。後方に控えるのが能茶山です

工房を下ると、大きな道路が通っています。バス停も近く、アクセスの良い場所にあります

15歳で始まった陶工としての人生

谷さんが家業に入ったのは中学を卒業後、15歳のときでした。
窯に入った初日のことは、今でもはっきりと覚えているそうです。

「初日は菊練り(粘土に含まれる空気を抜き、硬さを均一にする仕上げの技術)を教えてもろうて。もちろん、できませんわね。それから、親父が菊練りした土で一日中、杯をつくって、次の日に削っては壊して。その繰り返しでした。これは、ほんまにできるようになるんかと思いました」

小学生の頃から手伝いはしていたものの、なかなか思うようにはいきません。父の横で見様見真似で、教わるというより、見て覚える日々が始まりました。


ただ、焼きものの仕事は、谷さんの性格にも合っていたと振り返ります。

「友達付き合いがあんまり得意やなかったので、一人で黙々とできるこの仕事は合っていたと思います」

以来、およそ40年間。谷さんは一貫して、ろくろと向き合い続けてきました。
作品を公募展に出品したり、ギャラリーで個展を開いたりすることもなく、問屋を通して県内の道の駅や土産物店で販売されてきました。
近年では、工房での陶芸教室に加え、幼稚園や小学校へ出向く出張教室も増えているそうです。

「いつ頃、一人前になれたと思いましたか?」
そう尋ねると、谷さんの謙虚な人柄がにじむ答えが返ってきました。

「いや、あんまり変わりません。窯で焼いたあとは、今でもほんとうに焼けちゅうかどうか、ドキドキします」


工房に飾られた登り窯の写真。現在はガス窯ですが、谷さんが家業に入る前は登り窯を使用していたそうです

能茶山の赤土と、変わらぬこだわり

尾戸焼の最大の特徴は、能茶山で採れる赤土です。
鉄分を多く含み、焼成後は赤みを帯びた、あたたかみのある表情を見せます。さらに、耐火度が高く、かつて登り窯で焼かれていた時代でも、形崩れしにくい強度を備えていました。

谷さんが何より大切にしているのが、この土です。
工房から歩いて行ける距離の山へ自ら足を運び、掘り出した土を水に溶かし、砂や石を分離し、何度も濾過を重ね、陶土へと仕上げていきます。

「年に1回くらいですけど、3、4トンはつくりますね。こればっかりやったら1か月半。でも仕事しながらやったら、なかなか終わらんです」

決して効率の良い作業ではありませんが、「この土でないと落ち着かん」と谷さんは語ります。

「子どもの頃から触りよる土やき。他の土を使うと、どうも手が言うことを聞かんですね」

釉薬についても、藁灰や土灰は自分でつくっているそうです。

工房、売店の裏手にある能茶山から土を採取します
採取した土から不純物を取り除くための道具
今も昔と変わらず、自ら陶土をつくり続けています

生活の変化と、うつわのかたち

明治以降、民営化された尾戸焼では、味噌甕や水甕、土管などの大物が多くつくられていました。
しかし生活様式の変化により、現在は食器や酒器、マグカップなどが中心となっています。

写真上/売店にて。谷さんは水墨画を学び、その感覚を作陶にも活かしているそう
写真下/緑釉のものが人気とのこと

そのなかの一つに、「可杯(べくはい)」があります。
これは、底が尖っていたり、穴が開いていたりして、飲み干すまで下に置くことができない、土佐(高知)に伝わる酒器です。酒豪が多い土地柄を象徴するうつわで、土産物としても人気があります。
「親父の時代に、土産物屋さんと一緒につくってみようって始まりました」

写真上/底が尖っているタイプの可杯
写真下/こちらは穴が空いているタイプ
Wired Beans
「生涯を添い遂げるマグ」との
取り組み

Wired Beansとの協業では、これまでにない製法にも挑戦しました。

ろくろでの成形を基本としてきた谷さんにとって、マグカップの本体をろくろで挽き、型で製作した取っ手を後から取りつけるのは、はじめての経験でした。

「最初は失敗ばかりでした。でも慣れてくると数もつくれるようになって、だんだんおもしろうなってきて。新しいことをやるのは大事やなと思いました。勉強になりましたね」



受け継ぐこと、続けること

現在、谷さんは55歳。焼きものの道に入って40年を迎えました。
外に修業へ出ることもなく、同じ場所でコツコツと作陶に没頭してきましたが、新しい挑戦を楽しむことも忘れていません。

最近では、桂浜を管理する会社が運営するショップに作品を卸すことをきっかけに、海をイメージした青緑色の釉薬の開発にも取り組みました。

「高知の海の色を出したかった。深くて、ちょっと緑がかった色ですね」

桂浜の風景

最後に、これからのことを聞きました。

「子どもがおらんので、先のことは正直わからんです。ただ、やりたい人がおったら、育ててみたい気持ちはあります」

そう静かに語ったあと、こう付け加えてくれました。

「特別なものやなくていい。日常のうつわを、お客様が求めるものを、ちゃんとつくりたい」

土を掘り、土を練り、ろくろを回し、火を入れる。
その繰り返しのなかに、今日も尾戸焼の時間は流れ続けています。

尾戸焼・谷製陶所
Odoyaki Tani Seitosho
住所

〒780-8050
高知県高知市鴨部1366

TEL

088-844-4743

生涯を添い遂げるマグ 尾戸焼

谷製陶所の5代目・谷信一郎氏が手がける「尾戸焼」のマグ。自ら掘り出した能茶山の土と、手作りの藁灰釉が生む乳白色の柔らかな質感が魅力です。貫入(ヒビ)が深まる風合いを愉しみ、日々に寄り添う贅沢な一品です。