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生涯を添い遂げるマグ 生涯を添い遂げるマグ

MUG. hand made by pottery craftsman

Craftsman #19
大谷焼
森裕紀
梅里窯
徳島県鳴門市

CRAFTSMAN:
Yuki Mori

CATEGORY:
Otani Yaki

POTTERY:
Umezatogama

LOCATION:
Tokushima, Naruto City

photo photo

伝統の素材と技法を大切に、
現代の暮らしに寄り添う、
かわいいうつわを

大谷焼の歴史
約240年の歴史をもつ、徳島県を代表する陶器が大谷焼です。1780(安永9)年、四国八十八か所の霊場の巡礼で訪れた豊後国(現在の大分県)の陶工・文右衛門が大谷村(現在の鳴門市大麻町)でろくろ細工を披露し、赤土で焼き上げたことが始まりといわれています。

当時、阿波国(現在の徳島県)では焼きものがめずらしかったこともあり、徳島藩の第11代藩主・蜂須賀治昭は磁器の焼成を命じ、九州より職人を雇い入れました。そして1781(天明元)年に「藩窯」が築かれ、阿波ではじめて「磁器」が焼かれるようになります。

ところが、九州から高額な原材料を取り寄せていたこともあり、採算が合わず、わずか3年で藩窯は廃止されました。その後、藩窯の創設にも尽力した藍職人・賀屋文五郎(笠井惣左衛門)の働きによって、1784(天明4)年、村内に連房式登り窯が築かれ、「陶器」を焼く「民窯」として再出発します。

当初は甕をはじめとする大物が中心でした。鳴門は塩づくりや藍染めがさかんな地域であり、それらの原料や製品を貯蔵するための大容量の陶器が求められていたためです。明治に入ると生活様式の変化に伴い、日用品や食器類へと用途が広がりました。最盛期には数十軒の窯元があったといわれていますが、現在、作陶を続けているのは、わずか6軒となっています。

そのうちの一軒、梅里窯の3代目・森裕紀さんにお話をうかがいました。
薪窯の前に立つ、梅里窯の3代目、森裕紀さん

素朴な風合いを醸し出す土

大谷焼の最大の特徴は、鉄分を含んだ土味と、素朴で力強い風合いにあります。2003年には経済産業省の伝統的工芸品に指定され、その要件の一つとして、使用する陶土は「萩原粘土」「讃岐粘土」「姫田粘土」またはこれらと同等の材質を有するもの、と定められています。

しかし、森さんは首をかしげます。

「“同等”って、どこまでが同等なんですかね」

大谷焼の出来栄えを左右する陶土についても、同等の解釈には幅があり、現在は「鉄分を含むこと」が一つの基準として運用されているそうです。

「大谷焼は、伝統的工芸品の指定を受けている産地のなかでも、おそらく最小規模。6軒でもなんとか成り立っているからか、使う土も、値段のつけ方も窯ごとにばらばらです。産地として、決して一枚岩とは言えません」

こうした率直な語り口も、森さんの魅力です。20代で『TVチャンピオン』(テレビ東京)の「陶芸王」で優勝し、30代で大谷焼で最年少の伝統工芸士に。40代を迎えた現在は、“異端児”として産地を牽引する存在となっています。

陶業会館・梅里窯

駐車場には、大谷焼のルーツである大物の甕が並んでいます

梅里窯の系譜と3代目の歩み

梅里窯の歴史は、曽祖父が本家の矢野陶苑で職人として働いていたことに始まります。祖父は「職人だけにはなるな。やるなら経営者になれ」と言われ続け、独立を果たします。当初は雑貨店を営み、その後は瓦業で財を成し、最終的に陶業へ本格参入して梅里窯を築きました。

2代目である母のあとを継いだ森さんは、当初は焼きものの道に進むつもりはなかったといいます。高校を卒業後、音楽の道を志して上京し、専門学校に進学。しかし、家族を持ったことを機に帰郷し、家業を継ぐ決意を固めます。京都府立陶工高等技術専門校で学び、理論と技術を体系的に習得しました。

転機となったのが、『TVチャンピオン』への出場です。ベテランの伝統工芸士を破って優勝という快挙は、大きな自信と同時に責任をもたらしました。

「注目されたことで、結果を出し続けなければならない、という意識が強くなりました。なぜ売れるのか、なぜ使いやすいのかを理屈で説明できなければならない。そのときから、感性と同じくらい分析も重視するようになりました」


鉢を製作中。焼成すると、平均して15%ほど収縮するそう
「かわいい」は最強──作風の転換

当初はシャープで洗練された美を追求していましたが、展示会での反応を通じて方向転換を図ります。

「かっこいいものは評価されますが、実際に手に取られるのは、丸みがあって、優しさのあるうつわでした。だから、自分の表現も生活に寄り添う方向へ変えていこうと思ったんです」

以降、フォルムは直線から曲線へ。手にしたときの安心感、食卓に置いたときの親しみやすさを重視したデザインへと変化しました。

素材と技法へのこだわり

梅里窯では、土や釉薬、窯の使い分けにも工夫が凝らされています。現在は地元の土に信楽の土を配合し、用途に応じて強度や割れにくさを調整しています。

焼成は穴窯、電気窯、ガス窯を使い分けます。同じ釉薬でも焼成の環境によって発色や表情が大きく異なるため、それぞれの特性を理解しながら最適解を探ります。

特筆すべきは、「黄金焼」です。薪窯による天然の焼成で生まれる独特の景色は、灰が偶然に降りかかることで形成されます。人工的に灰を施すのではなく、自然の作用に委ねる手法は、大谷焼の原点ともいえる力強さを宿しています。


大谷焼のなかで、最上の焼きもの「黄金焼」。釉薬をかけず、焼成の工夫のみで、黄金色を発色させています

機能性を重視したものづくり

梅里窯の最大の特徴は、徹底した機能性の追求にあります。
代表的なコーヒーカップの開発には15年を費やしました。
持ちやすさ、軽さ、容量、口当たり、保温性、収納性といった要素を細かく検証し、試作と改良を重ねた結果、今の形状に行き着きました。

コーヒーカップを製作中。焼き上がり後の収縮を計算して、径を計っています
15年間、試行錯誤を重ね、完成した究極のコーヒーカップ

縁を厚く見せながら底を薄く削ることで軽量化を図るなど、視覚と構造を両立させる工夫も随所に見られます。鉢の裏に施された飛びかんなは、装飾であると同時に滑り止めとして機能し、高台の形状も洗いやすさを考慮しています。

森さんはこう語ります。

「きれいなうつわをつくることよりも、毎日使ってもらえることのほうが大事。洗うときに指が引っかからないか、重ねたときに場所を取りすぎないか。使い手が無意識に感じるストレスを減らすことこそ、ほんとうの意味での機能性だと思っています」


鉢の裏側に、飛びかんなが施されています。装飾としてよりも、「洗いものの際に滑りにくいように」との優しさから
Wired beans
「生涯を添い遂げるマグ」との
取り組み

「生涯を添い遂げる」という理念に共感し、Wired beansとの協働が始まりました。

手づくりの風合いを残しつつ、型による量産性を確保するという課題に挑戦。割れても交換する「生涯補償」の制度を含めた仕組みも含めて“機能性”と捉え、大谷焼の土味と、藍の産地で知られる徳島らしい藍色を活かした製品が完成しました。


未来へ向けて

後継については、「継いでほしい」という思いを抱きながらも、無理強いはしない姿勢を貫いています。技術は惜しみなく伝える。しかし、最終的に選ぶのは本人。その背景には、家業を義務にしてしまうことへの危機感があります。

「陶芸は、好きでないと続きません。土に向き合い、失敗を繰り返し、十年単位で積み上げていく仕事です。だからこそ、自分の意志で選んでほしい。もし別の道に進んでも、それはそれでいいと思っています」

一方、産地の未来については、「小さいこと」を強みに変える必要があると語ります。

「伝統を守るというのは、昔のままを繰り返すことではないと思うんです。土や焼き方という“芯”は変えない。でも、売り方や伝え方、かたちの提案は時代に合わせて変わっていい。むしろ変わらなければ、生き残れない。小さい産地だからこそ身軽に動ける。その強みをどう生かすかが、これからの鍵になると思っています」

大谷焼・梅里窯
Otaniyaki Umezatogama
住所

〒779-0302
徳島県鳴門市大麻町大谷字道の上30-1

TEL

088-689-0048

WEB

https://umezatogama.com

生涯を添い遂げるマグ 大谷焼 梅里窯 灰茶
生涯を添い遂げるマグ 大谷焼

約240年の歴史を持つ徳島県「大谷焼」の梅里窯が手掛けたマグ。国の伝統的工芸品に指定されている大谷焼伝統の「灰茶(はいちゃ)」と、藍染めの染料“蒅(すくも)”を燃やした灰を配合したジャパンブルー「すくも藍」の2種を展開。日常に温もりを届ける機能的な一品です。

取材・執筆
萩原 健太郎

ライター。フォトグラファー。
東京・大阪を拠点に、北欧、デザイン、インテリア、手仕事などの領域の執筆・撮影、講演、プロデュースを中心に活動。

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