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生涯を添い遂げるマグ 生涯を添い遂げるマグ

MUG. hand made by pottery craftsman

Craftsman #16
理平焼
紀太洋子
紀太信吾
理平焼窯元
香川県高松市

CRAFTSMAN:
Yoko Kita
Shingo Kita

CATEGORY:
Rihei Yaki

POTTERY:
Riheiyakikamamoto

LOCATION:
Kagawa, Takamatsu City

photo photo

高松藩の御庭焼に始まり、
14代続く茶陶
京焼の系譜を引きつつ、
讃岐の抑制の美を追求

御庭焼に始まる理平焼の系譜
香川県高松市、栗林公園の北門前に窯を構える理平焼は、高松藩の御庭焼として始まった茶陶です。その創始は、高松藩の初代藩主である松平頼重が京都から陶工を招いたことに由来します。藩主の庇護のもと、当初は栗林公園内に窯が築かれ、藩のための道具として製作が行われました。御庭焼とは、藩主の御用に応じてつくられる特別な焼きものを指し、格式と美意識の双方が求められます。

栗林公園

明治維新による廃藩置県を経て、理平焼は藩の御用窯という立場を離れ、民窯として再出発しました。栗林公園の外へと移りながらも、茶の湯の道具を中心とする製作の姿勢は変わることなく、14代へと受け継がれています。

現在の理平焼について、14代・理平を継承した紀太洋子さんと、長男で15代の候補の信吾さんにお話をうかがいました。

14代は、こう語ります。

「もともとは御庭焼ですから、茶道具が中心なんです。そこは今も変わっていません。ただ、時代に合わせて少しずつかたちは変わってきています」


栗林公園内にある「古理兵衛九重塔」。高松藩の初代藩主・松平頼重が、1647(正保4)年に京都から招いた紀太理兵衛重利が焼いた九重塔。この地から、理平焼の歴史は始まりました

京焼の華やかさと、讃岐の抑制の美しさ

理平焼の作風は、京焼の系譜を色濃く引いています。とりわけ、色絵陶器の名手で、京焼の大成者として知られる江戸初期の陶工、野々村仁清の影響は大きく、端正な造形と気品ある絵付けにその精神が息づいています。

しかし、14代は単なる模倣ではないと強調します。

「京都の華やかさをそのまま持ってくるのではなくて、讃岐の空気に合うように、少し抑えるんです。派手にしようと思えばできますけれど、あえて引き算をする。それが理平焼らしさだと思っています」

その抑制の美は、春夏秋冬を主題とする色調にも表れています。紺、緑、金を基調とし、必要に応じて赤を差し、全体としてはどこか藤色を帯びた、やわらかく静かな色調が特徴です。

「華やかすぎると、茶席で浮いてしまいます。主役はあくまでお茶です。うつわはそれを支える存在ですから」

春・桜をモチーフにした抹茶碗
夏にはお茶が冷めやすいように、平たい平茶碗が用いられます。夏茶碗とも呼ばれます
盛夏を過ぎ、涼気を感じ始める頃に好まれる秋草文が描かれた、秋に使われる抹茶碗
笹の葉に雪が積もる様子を表した雪笹文が描かれた冬の抹茶碗
夏茶碗とは対照的に、お茶が冷めにくいように、深めに、筒状につくられた筒茶碗。真冬に用いられます。漆黒の地に、金彩で描かれた雪輪文と雪花文(雪の結晶)が浮かび上がります
武者小路千家との縁

理平焼は、茶碗、水指、花入、香合などの茶道具を中心に手がけています。武者小路千家が、高松藩の茶道の指南をつとめていたこともあり、同家との縁も続いてきました。武者小路千家は、表千家、裏千家と並ぶ三千家の一つです。

「専属というわけではありませんが、その都度ご相談をいただいて製作することが多いです。図案をいただくこともありますし、『こういう趣向で』と大枠だけ示されることもあります」

その際には試作を重ね、図面を引き、やりとりをしながら、細部をつめていきます。緊張感も伴いますが、同時にやりがいも大きいといいます。

また、近年は個人からの注文も多く、自宅用の茶碗や、還暦などの節目を祝う記念品としての依頼も増えています。

「量産はしていません。一つ一つ、その方のためにつくるという意識です」



13代の急逝と、14代の決意

夫である13代が48歳で急逝したとき、洋子さんは40歳でした。それまで本格的に製作に携わっていたわけではありません。

「子どもが3人いるんですけど、この人(信吾さん)なんかはまだ小さかったから。正直に言えば、不安でした。でも、やめるという選択肢はありませんでした」

そこで、出身地の京都へ戻り、専門学校で1年間、絵付けを学びました。ゼロからの出発でしたが、「習えばできる」と自分に言い聞かせていました。それでも、家元に作品を見せるときは、今も緊張するそうです。

「これでいいのか、と毎回思います。でも、技術は努力すれば身につく。あとは、自分がどういうものをつくりたいのか、それを問い続けることだと思っています」

伝統を守り続けることと、時代とともに変わっていくこと。そのあたりのバランスについて尋ねてみました。

「時代が変われば、人も変わる。描く人が違えば、少しずつ表現も変わる。それは自然なことだと思っています」

筆を走らせる14代・理平

15代の修業と役割について

信吾さんは子どもの頃から父(13代)のかたわらで土と戯れていました。そうした環境も大きかったのでしょう。自身が窯を継ぐことは、自然な流れだったといいます。そして高校を卒業後、京都で成形と釉薬を学び、さらに窯元で修業を重ねました。

「まずは土に触れるところから覚えました。ろくろを挽くのも、最初は思うようにいきませんでした」と信吾さんは当時を振り返ります。

現在は、信吾さんが成形と釉薬の調合、焼成を担当し、14代が絵付けを担う分業制です。釉薬は既製品をそのまま使うのではなく、原料を買って自分で調合しています。焼成も、温度や時間を細かく調整しながら、安定した状態を探っています。

さらに、信吾さんは実際に茶道を学んでいます。

「実際に点ててみると、うつわの良し悪しがよくわかります。焼きが甘いと水が染み込みやすいですし、重さや口縁の厚みも気になります。使ってはじめて見えることが多いですね」

信吾さんの隣で、14代もうなずいています。

「つくる側だけの視点ではなく、使う側の目を持っているのは心強いです」


14代・理平の母・洋子さんと、15代の候補である信吾さん

Wired beans
「生涯を添い遂げるマグ」との
取り組み

茶道具が専門の理平焼にとって、マグの依頼ははじめてのことでした。

「普段は取っ手のあるものはつくりませんから、最初はどうなることかと思いました。でも、挑戦してみようと思いました」と14代は笑います。

信吾さんもこう続けます。

「型を使いながら、取っ手の強度や接合の部分をどうするか工夫しました。伝統の技法だけでは対応できない部分もありますが、そこをどう折り合いをつけるかがおもしろいところです」


現状維持という選択

国内において、茶道の人口は減少し、高齢化が進んでいます。そうした状況下、理平焼は今後、どのような道を進んでいくのでしょうか。

「大きく広げるというより、まずは続けること。現状をきちんと維持することが大切だと思っています」と14代。

その一方で、信吾さんは未来を見据えます。

「伝統を守ることは前提ですが、それだけでは続きません。新しい提案をしながら、理平焼らしさをどう残すか。それをこれから考えていきたいです」

御庭焼に始まる格式、京焼の品格、讃岐の風土に根ざした抑制の美。そして、14代と15代の候補である息子との対話。

「無理はしません。でも、止まりもしません」

その言葉の通り、理平焼は静かに、しかし確実に、次の時代へと歩みを進めています。

理平焼・理平焼窯元
Riheiyaki Riheiyakikamamoto
住所

〒760-0008
香川県高松市中野町34-17 栗林公園北門前

TEL

087-831-8230

生涯を添い遂げるマグ 理平焼

香川県高松市で14代続く茶陶、理平焼。高松藩の御庭焼にルーツを持ち、京焼の華やかさに讃岐の「抑制の美」を融合させた逸品です。14代が手描きした瑞々しい波の絵柄と、独自調合の釉薬が織りなす端正なマグが、日々の時間を優雅に彩ります。

取材・執筆
萩原 健太郎

ライター。フォトグラファー。
東京・大阪を拠点に、北欧、デザイン、インテリア、手仕事などの領域の執筆・撮影、講演、プロデュースを中心に活動。

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