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生涯を添い遂げるマグ 生涯を添い遂げるマグ

MUG. hand made by pottery craftsman

Craftman #07
瀬戸焼
島倉淳
竹堂園
愛知県瀬戸市

CRAFTMAN:
Atsushi Shimakura

CATEGORY:
Seto Yaki

POTTERY:
Chikudouen

LOCATION:
Aichi, Seto City

photo photo

温故知新の心を胸に、
手仕事とデジタルを融合させ、
時代が求める
「せともの」を生み出していきたい

瀬戸焼の歴史
特に東日本において、普段使いの食器を「せともの」と呼ぶことがありますが、本来は、愛知県瀬戸市とその周辺でつくられる陶磁器「瀬戸焼」を意味します。それだけ瀬戸焼の歴史が深く、多くの人々に親しまれている証です。
日本の窯業は、古墳時代に朝鮮から伝わった須恵器を焼いたことに由来します。瀬戸焼は六古窯(越前・瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前)の一つに数えられますが、そのルーツをたどると、現在の名古屋市東部、日進市、愛知郡東郷町、みよし市、豊田市に分布していた「猿投窯」に行き着きます。5世紀前半の須恵器に始まり、9世紀前半から日本ではじめて植物の灰を原料とした釉薬(灰釉)を施釉した陶器が焼かれ、そして10世紀後半、「瀬戸窯」の成立にいたるのです。
鎌倉から室町時代にかけては、全国で唯一の施釉の陶器「古瀬戸」が生産され、広く流通していきました。16世紀後半には黄瀬戸、瀬戸黒、志野など、装飾性の高い焼きものが生み出され、それらが瀬戸焼の一つの特徴となりました。その後は茶器などと並行して、連房式登窯の導入により量産化も進められました。さらに19世紀に入ると、磁器の生産が始まります。この磁器は「新製焼」、従来の陶器は「本業焼」と呼び分けられました。
陶器も磁器もつくられ、量産メーカーから作家までが混在しながら、日本を代表する窯業地として発展を遂げた瀬戸焼ですが、今日の生産額では、美濃焼(岐阜)が圧倒的で、さらに波佐見焼(長崎)、有田焼(佐賀)にも水をあけられているそうです。竹堂園の3代目であり、品野陶磁器工業協同組合の理事長も務めた島倉淳さんに、窯の現状から産地の未来までお話いただきました。
創業から100年を迎えた竹堂園

1924(大正13)年、塚田金蔵と島倉武雄が共同で、竹堂園の前身となる製陶所を創業。1940年、事業の発展に伴い、それぞれが窯を構えることとし、島倉家は「竹堂園」を名乗りました。1958年、武雄の長男の春海が2代目を継承しました。淳さんは大学を卒業後、2年間は瀬戸窯業高等学校(現在の瀬戸工科高等学校)の専攻科で陶磁器について学びます。卒業後は3年半、東京の陶磁器の製造、卸の会社、株式会社アイトーに勤務。それから地元に戻り、1990年に3代目を継承しました。淳さんいわく、当時の竹堂園は、“瀬戸一汚い工場”で、“瀬戸で一番安いお皿を焼いていたそうです。

「最初に工場の環境の改善と、清掃の徹底に取り組みました。あと、100円均一の取り皿も焼いていたんですよ。とにかく汚いのがイヤで、安ものを作るのもイヤで。新社屋を建てたり、商品を見直したり、ちょっとずつ着手していきました」

それから百貨店でも取り扱ってもらえるような商品を目標に、開発を推し進めました。そのために、古巣のアイトーをはじめ、お客様のところに足を運んでは、貪欲に情報を収集し、受注に結びつけていきました。その結果、ギフト向けの商品を作ったり、有名な料理家の栗原はるみさんがプロデュースする食器のOEMを手がけるまでになったのです。

子ども用の食器「のっぽのポノ」

好奇心旺盛で新しいもの好き

飄々と話す島倉さんですが、安いものをつくっている工場が価格を上げるのは、そう簡単なことではないはず。自社のブランドの価値の向上の背景には、島倉さんの性格も大きく影響していました。

「私はけっこう好奇心旺盛で、新しもの好きなんです。だから、Eメールやインターネットに始まって、3Dプリンターによる複雑な形状の商品の開発、ChatGPTを活用したデザインなど、いち早くデジタルを取り入れたんです。リスクを取ってでもいいから、常に新しいことをやっていきたい。そこがある意味、強みだったかなと思っていますね」

もともとB to Bの商品を手がけるOEMのメーカーでしたが、2008年頃からは、B to Cに向けたオリジナルの開発をスタート。現在もOEMが売上の約9割を占めますが、オリジナルのアイテムは竹堂園のブランディングにも貢献しています。
代表的な商品に、出産祝いに特化した子ども用の食器「のっぽのポノ」や、好きな角度でピタッと止まる小型犬・猫用の食器「かたむけて」などがあります。


小型犬・猫用の食器「かたむけて」

手仕事と最先端の機械が共存

竹堂園の工場内をご案内いただきました。いち早く3Dプリンターを導入するなど、自らを“新しいもの好き”という島倉さんの性格上、機械化、デジタル化が進んでいると思っていましたが、意外にも手仕事の工程が多いことに驚かされました。

まずは、2階へ。


瀬戸の山から採取し、鉄粉や不純物を取り除いた土を攪拌して練りやすくする工程。白い土、黄色い土、白磁の3種類を使い分けています
圧力鋳込みで皿を成形し終え、型から外す工程
削りの工程。熟練の職人の手により仕上げられていきます
おもに原型をつくるのに用いる3Dプリンター
1階へ移動します。とかげの巣(シェルター)の表面を研磨して仕上げています

下書きなしのフリーハンドで、一つ一つていねいに名入れをしていきます
奥の黒いマグを手本に、幾何学模様を彫り込んでいきます
Wired Beans
「生涯を添い遂げるマグ」との
取り組み

竹堂園にWired Beans「生涯を添い遂げるマグ」をお願いするにあたり、これまでに多くの企業との仕事を手がけていること、豊富な釉薬を持たれていることは、私たちにとって心強いことでした。

快く引き受けていただけた背景には、「瀬戸焼を盛り上げたい」という島倉社長の強い思いがあったのです。

釉薬の色見本の一部

瀬戸焼の未来

島倉さんが3代目を継承して35年。伝統の手仕事を守り、その技術を絶やさないために若手の職人を育てつつ、新社屋を建て、最新の設備を導入したことで、竹堂園は業績を伸ばしてきました。さらに、品野陶磁器工業協同組合の理事長を務めるなど、産地の発展に尽力されてきました。“温故知新”のバランス感覚に優れた経営者という印象です。

「かつての瀬戸焼は隆盛を極め、一世を風靡したが故の『奢れるものは久しからず』ですよ。窯元の数は減り、生産量でも、美濃焼や肥前の産地に大きく差をつけられています。4年間、組合の理事長を務め、ホームページやSNSを整備しましたが、組合をまとめるのは大変なことでした。とにかく、瀬戸焼を今以上に減らさないように、賑やかにするのが夢です。“令和の加藤民吉(瀬戸の陶工。瀬戸の磁器の創始者)”となるようなイノベーターの出現に期待しています」

瀬戸焼・竹堂園
Setoyaki Chikudouen
住所

〒480-1207 愛知県瀬戸市品野町1-101

TEL

0561-42-0322

WEB

http://www.tohki.co.jp

生涯を添い遂げるマグ 瀬戸焼

日本六古然のひとつで「せともの」という言葉の由来となった瀬戸焼。三代にわたり作陶を続ける瀬戸焼窯元・竹堂園では、伝統を大切にしながらも革新を続け、温故知新の精神で新しい瀬戸焼を創造しています。