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生涯を添い遂げるマグ 生涯を添い遂げるマグ

MUG. hand made by pottery craftsman

Craftman #03
丹波焼
大上 恵
大熊窯
兵庫県丹波篠山市

CRAFTMAN:
Megumi Ogami

CATEGORY:
Tanba Yaki

POTTERY:
Ohkumagama

LOCATION:
Hyogo, Tanbasasayama City

photo photo

父から伝統を引き継ぎ
誰もが気軽に使える食器を
作っていきたい

丹波焼について
大阪や神戸のベッドタウンとしてにぎわう兵庫県三田市を抜けると、都市の風景は一転、周囲を山に囲まれた田舎の風景が広がります。こちらの丹波篠山市は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて開窯したといわれる丹波焼の郷で、越前、瀬戸、常滑、信楽、備前とともに六古窯の一つに数えられています。山裾に寄り添うように窯元が軒を連ねており、産地全体ではその数は約60に上るとのことです。丹波焼の特徴としては、まず、窯の構造が挙げられます。桃山時代末期までは穴窯が用いられましたが、それ以降は現存する登り窯(蛇窯とも呼ばれます)に変わりました。窯の構造上、中性炎で焼成されるので、白か黒、あるいは焼き締めといった単純な色しかありませんでした。
色の制限は逆に造形や絵柄の自由度をうながしました。京都に近い土地柄というのも関係しているのでしょう。和蝋燭のかたちを模した「蝋燭徳利」や、勢いよくはねる海老が描かれた「海老絵徳利」のような雅びな作品が生まれました。さらに、民藝の指導者で陶芸家の河井寛次郎の弟子で、戦後の丹波焼の再興に尽くした生田和孝がもたらした「しのぎ」や「面取り」といった技法は、新たな伝統となりました。現在は、ガス窯や電気窯が主流となり、それに合わせて造形や色、柄など、窯元ごとに個性が見られます。
丹波焼の郷の風景

30代になったばかりという若手の陶工、大上恵さん
大熊窯について

丹波焼の郷の中心部の道路沿いに、「大熊窯」はあります。広い敷地内には、工房と登り窯、さらに売店もあるので、
ゆっくりとお気に入りを選ぶことができます。
5代目を継承する予定の大上恵さんに、お話をうかがいました。

「父が4代目で、私が継げば5代目になります。ただ、大熊窯になってからが5代目という意味で、正確にはわからないんですよ。半農半陶というかたちで、その前からずっと続いてきているので。このあたりに大上という名字は多くて、ほとんどが焼きものに携わっています」

父の巧さんは、海老絵をはじめ、伝統的な焼きものを製作するかたわら、過去には丹波立杭陶磁器協同組合の理事長を務めるなど、産地の活性化にも尽力しています。
次女の伊代さんは、作家としての活動がメインで、日本の縁起物、神様や仏様、妖怪などからインスピレーションを得た人形を発表しています。
そして三女の恵さんは、父と同じように、皿や茶碗、湯呑みなどの食器を中心に手がけています。


離れてみてわかった父の仕事のすばらしさ

丹波篠山で生まれ育った恵さんは10代の頃、田舎で暮らす多くの若者たちと同様に、都会に憧れていました。高校を卒業すると迷いなく、進学、就職で大阪へ向かいました。

「都会に出たことは、私の人生においてすごく大きかったんですよ。当初は、人も多いし、夜中でも電気がついていて明るい、くらいで感動していただけでしたが」と屈託なく笑う恵さんですが、次第に気持ちが変化していったそうです。

「事務の仕事をやっていたんですけど、毎日同じことの繰り返しに感じて、自分じゃなくてもいいんじゃないか、と。
何かかたちに残る仕事がしたい、とぼんやり考えていたとき、焼きものを思い出して。うちのお父さん、いい仕事をやっていたんだな、って。離れてみて気づいたんです。
子どもの頃はまわりが窯元ばかりで、世界の職業の半分くらいが陶芸家やと思っていたくらい身近だったので(笑)」

外に出たことで、あらためて家業の尊さを見直すことができたのです。そして会社をやめて、京都府立陶工高等技術専門校に行くことを決意。しかし、両親に報告したところ、思いも寄らない反応だったそうです。


工房内にあった、めだかが泳ぐ甕。恵さんの父か祖父の作品とのこと。かつて、丹波焼では、甕や壺などの大物がつくられていました
「私も陶芸をやりたい」。そのとき父は…

「大激怒でした…」

家業に興味を持ち、娘が帰ってくるとなると喜ぶに違いない、というこちらの固定観念は、見事に覆されました。
全国の手仕事の産地では、後継者不足の問題が持ち上がっているというのに。

「うちだけに限らないみたいです。丹波のどこの窯元も跡継ぎは増えているんですけど、親が継いでくれと言っているところはない。やっぱり大変だし、こんな波のある仕事を子どもにさせるのはどうなのか、と思っているようで」

次女に続いて三女まで2人の娘が窯に入ること、丹波焼に女性の窯主がいないことなど、父としてはいろいろな不安が交錯したのでしょう。それでも、恵さんが京都府立陶工高等技術専門校に通い始め、電話をかけて、ろくろの進捗状況などを報告したりすると、嬉しそうにしていたのだとか。

実家に戻ってきたのは、24歳のとき。以来、丹波焼の伝統にのっとり、ろくろの成形から釉薬かけ、焼成までを一人で手がけています。父は基本的に口出しせず、間違っているときに軌道修正してくれるなど、陰から見守ってくれているそうです。


作陶するうえで大切にしていること

窯に入ってから6年ほどが経過したという恵さん。作陶するうえで大切にしていることについて尋ねました。

「私と同世代の友達とかも、陶器を買いに行くなんて恐れ多い、みたいな子が多いんですよ。だから、もっと気軽に使ってほしいと思っています。たとえば、私はリム皿が好きなんですけど、リム皿だと真ん中の空間に料理を盛りつけるだけでも絵になります。料理があまり得意じゃない私が言うんだから、間違いないです(笑)」

デザインやトレンドよりも、深さがあるものとか、ワンプレートに盛れるとか、使い勝手を重視して製作しているそう。そこに、水色やピンクなどの彩色で個性を発揮しています。

「私は丹波の土地で、丹波の土を使って作陶すれば、丹波焼だと思っています。丹波は若い後継者が多く、活気があり、窯元ごとの多様性も魅力なので、きっとお気に入りが見つかりますよ」


丹波焼の伝統のしのぎの技法の上に、淡い水色の釉薬をかけた湯呑み。恵さんの作品
父・巧さんの海老絵の作品
Wired Beans
「生涯を添い遂げるマグ」との
取り組み

正確さを求めるよりも、多少不揃いでも自由につくるほうが好きだという恵さんにとって、Wired Beansとの取り組みは抵抗なかったのでしょうか。

「図面があって、カチッとかたちが決められているものをつくるのは苦手なんですが、食わず嫌いをしているのもだめだと、自分のなかでいい機会だと思ったんですよ。あと、生涯補償の食器って聞いたことがないのでおもしろそうだな、って」

通常のカップでは、取っ手を2点で留めることが多いのに対しWired Beansでは面で留めます。そのため、少し苦労されたそうですが、最終的には、丹波焼の特徴のしのぎの上に、恵さんらしいパステルカラーの釉薬を流しかけるという、これまでのWired Beansにはないポップなマグカップが完成しました。


こちらの登り窯では、年に1回ほど窯焚きを行うそう
ずっとここで
焼きものをやっていきたい

最後に、恵さんにこれからのビジョンについてお聞きしました。

「深くは考えていないんですけど、父がいるうちに、学べることは学んでおきたいと思っています。特に、登り窯なんかは、今の私は薪をくべているだけの人なので。父の海老絵とかにも挑戦してみたいですね。結婚ですか?そうなると、ここにいられるかわからないですけど、私としては、どこでもいいから陶芸をやりたいのではなく、丹波焼で陶芸をやりたいんですよ。
同世代の仲間もいますし、父が守ってきたこともあるので」

丹波焼・大熊窯
Tanbayaki Ohkumagama
住所

〒669-2135 兵庫県丹波篠山市今田町上立杭尾中1

TEL

079-597-2345

WEB

https://ohkumagama.com

生涯を添い遂げるマグ 丹波焼

日本六古窯の一つに数えられる丹波焼の窯元・大熊窯の大上 恵さんが作るマグは、伝統の技の中にも感性が光る一品です。手作業で施されたしのぎ模様とやわらかな色合いが生む立体感と上質さが魅力です。