CATEGORY:
Tokoname Yaki
POTTERY:
Jinsuitoen
LOCATION:
Aichi, Tokoname City
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Tokoname Yaki
POTTERY:
Jinsuitoen
LOCATION:
Aichi, Tokoname City
常滑焼は、急須の生産量が日本一、国内のシェアの9割を誇るといわれます。
常滑焼の急須は、独特の赤茶色で「朱泥急須」と呼ばれます。土の微細な孔が茶の味をまろやかにし、湯切れが良く、手にしっとりと馴染むことで知られています。
その魅力を高め、世界にも名を知らしめたのが、三代・山田常山です。彼は常滑焼の急須づくりに生涯を捧げ、伝統技法に独自の感性を融合させました。土の選定から成形、焼成にいたるまで一貫して行い、その緻密な技術と美意識は高く評価されています。
1998年には、国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、常滑焼の芸術性を世界に示しました。
また、常滑焼は名建築ともかかわりがあります。
20世紀初頭、アメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトが東京の「帝国ホテル」を設計した際、その装飾タイルを常滑で製造しました。ライトの求めた独特のテラコッタの色合いや質感を、常滑の職人たちが卓越した技術で再現したのです。
近代に入ると、常滑の陶工たちは建築用陶材や衛生陶器の製造にも挑戦し、やがて現在のLIXIL(旧INAX)として発展しました。焼きものの技術がトイレやタイルといった日常の製品に生かされているのも、常滑ならではの進化のかたちです。
現在の常滑では、伝統的な急須や食器に加え、若い作家による現代的なデザインの作品も多く見られます。古い登り窯や土管坂の街並みを歩けば、土の温もりとともに、千年を超えて息づく焼きもののまち・常滑の豊かな歴史に触れることができるでしょう。
人水陶苑の創業は江戸時代、1850年頃にまでさかのぼります。
常滑焼の地場産業を支えてきた渡邉家の歴史はさらに古く、地域の土とともに生きてきた家系です。祖父の代から急須をつくり始め、現在、その歴史を受け継ぎながらも、新しい風を吹き込んでいるのが、若き経営者、渡邉裕介さんです。
1980年3月、常滑市に生まれた渡邉さんは、ものづくりが大好きな少年でした。
「中学1年のころから、いろんな布を組み合わせてズボンをつくったり、パッチワークをしたりしていました。ずっとファッションに興味があったんです」
常滑高校に服飾を学べる学科があり、入学を検討しましたが、「男子生徒が一人もいない」と聞き、進学を断念。その後、東京デザイナー学院・名古屋校で2年間ファッションデザインを学びました。
しかし、「デザインは好きだけど、服づくりそのものは自分には向いていない」と感じるようになります。
転機は、花屋の年末のしめ縄づくりのアルバイトでした。
「花の装飾って、デザインとして自由でおもしろい」と感じた渡邉さんは、フラワーデザインの道へ。東京デザイナー学院の系列校で学び、いくつかの花屋で経験を積んだ後、26歳で独立します。
2006年5月、「フラワーデザインアトリエ・ハナジンスイ」を開業し、憧れの生花作家・中川幸夫のように、花で空間を演出することを目指しました。
しかし現実は厳しく、「夢で食べていけない」と感じる日々。
家業の経営も厳しくなっており、「このままでは両方とも立ち行かない」と決断。2010年、渡邉さんは家業に専念することを決めます。
常滑焼では、窯元がつくった製品を産地問屋に卸し、小売店を通じて販売するのが一般的です。けれども、渡邉さんの考えは違いました。
「問屋の営業さんと仲良くして、『これをカタログに載せてよ』っていうのが普通。でも、俺は花屋時代に飛び込み営業をしていたから、いいものができたら自分で売り込もうと思った。『人水のものだから欲しい』と思ってもらえるものをつくろうと」
当時30代前半。長年の産地の慣習に逆らう決断にはリスクもありましたが、両親が背中を押してくれました。
実際、大手の問屋から「うちのカタログには載せない」と言われることもありましたが、渡邉さんには確信がありました。
「お茶の輸出はこれから伸びるから、海外へも進出すればいい。高品質なものを、納期を守って、きちんと届ける。それを続ければ、必ず信頼を得られるはず」
そして2014年、人水陶苑を法人化し、「株式会社人水」として新たなスタートを切りました。
社長に就任後、渡邉さんは社内の体制を一新。他の窯元にはない営業のスタイルを構築しながら業績を伸ばし続け、家族中心の小さな窯元だった人水陶苑は、今では25名の従業員を抱える企業へと成長しました。スタッフの多くは子育て世代の女性で、時短勤務など柔軟な働き方を推進しています。
しかし、手仕事を重視した伝統的な製法については守り続けています。そのために、「誰がつくっても品質が落ちない」仕組みづくりにも力を入れています。
「うちは、一人が3つくらいの工程の作業ができますよ。だから、誰かが休んでもカバーできる。そして、古株が新人に教えるんじゃなくて、直近で覚えた人が次に教えるようにしています。自分がどこでつまずいたかを覚えているから、教え方がリアルなんです」
まるでリレーのように、技術と経験をつなぐ社風が生まれています。
営業面においては、東京の「インテリアライフスタイル」やニューヨークの「SHOPPE OBJECT」などの展示会に積極的に出展。
今後はドイツ・フランクフルトの「Ambiente」への出展も計画しています。Ambienteでは、急須だけでなく、自身のキャリアを活かした渡邉さんにしかつくれない大型のプランターを展示する予定なのだとか。
「JINSUI」としての名が、いまや常滑焼の一窯元を超え、ブランドとして認知されるまでになりました。
そんなJINSUIを代表するのが、オリジナル急須「TOKI(トキ)」です。
「職人の世界では、茶を愉しむ時間のことを“時わすれ”と言います。時を忘れ、茶を飲み、そして時を思い出す。そんな“時”を愉しむための急須です」と渡邉さん。
「なぜ平たいかたちなのかというと、茶葉が広がりやすいから。でも、それだけじゃない。営業のときに、“ポケットから出せたらおもしろいな”と思って、機能の限界まで薄くしました。TOKIは、半分は使う人のために、もう半分は自分のデザイナーとしてのエゴなんです(笑)」
国内のみならず、海外のセレクトショップでも高く評価され、JINSUIの名を世界に広めるきっかけとなりました。
陶芸を専門的に学んだわけではない渡邉さん。では、独自のデザイン感覚はどこから生まれるのでしょうか。
「他社のカタログを見ながら、これは好き、これは嫌い、と整理していくと、自分の“軸”が見えてくるんです。それに、急須のかたちってアシンメトリー(左右非対称)でしょう。バランスをとる感覚は、生花の経験に通じています」
ワイヤードビーンズと渡邉さんとの出会いも、東京の展示会の会場でした。
ワイヤードビーンズとしては、どうしても常滑焼で「生涯を添い遂げるマグ」をつくりたかったのですが、産地問屋の壁に阻まれ、窯元との交渉がうまくいきませんでした。
そのような折、快く引き受けてくれたのが、渡邉さんでした。
「一つのデザインのマグを、47都道府県の産地でつくると聞いて。常滑焼というか、愛知県の代表がうちじゃなかったら、おもしろくないじゃないですか(笑)」

愛知県常滑市の伝統、日本六古窯の一つである常滑焼。人水陶苑で製作したマグは、伝統の「朱泥(しゅでい)」に「白泥(はくでい)」「黒泥(こくでい)」を加えた3種展開。急須づくりで磨かれた緻密な手技を活かし、釉薬を一切使わずに高温で焼き締めることで生まれる自然な艶と高い強度が特徴です。日々の暮らしに静かに寄り添う、上質な日常の器です。
最後に、未来への展望を聞きました。
「日本茶の文化を海外に根づかせたいんです。常滑焼の伝統工芸士として名を残すことより、日本茶の歴史のなかに自分の名前を刻みたい。言葉にして努力し続ければ、必ず実現できると思っています」
人水陶苑が生み出す急須には、土のぬくもりとともに、渡邉さんの「時を越える情熱」が込められています。