CRAFTSMAN:
Izuru Nishimura
CATEGORY:
Uchiharano Yaki
POTTERY:
Yowakobo
LOCATION:
Kochi, Aki City
CRAFTSMAN:
Izuru Nishimura
CATEGORY:
Uchiharano Yaki
POTTERY:
Yowakobo
LOCATION:
Kochi, Aki City
昭和40年代、内原野焼は再興を果たします。安芸市出身で、京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)の初代学長を務めた長崎太郎が、「故郷の窯をもう一度立て直したい」と声をかけたことがきっかけとなりました。最終的に白羽の矢が立ったのが、西邨滋さんをはじめとする同大学の卒業生3人でした。
滋さんの息子で、現在、陽和工房の2代目を継ぐ西邨出さんは、若かりし頃の父の陶芸にかける熱いエピソードを教えてくれました。
「父は大学で、富本憲吉(「色絵磁器」で第1回重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定された陶芸家)に師事しました。入学してすぐ、アポも取らずに富本先生のもとへ押しかけ、作品を見てもらった、という話をよくしていました」
滋さんは大学を卒業後、徳島県の大谷焼で修業を重ね、作家としての道を歩んでいましたが、長崎の要請を受けて安芸市へ移住します。そして、高知の企業・陽和産業の陶器製造販売部門に就職し、1979年に陽和工房として独立を果たしました。
滋さんは、従来の内原野焼のうつわづくりを大切にしながらも、美大の先輩にあたる加守田章二に憧れ、芸術としての陶芸を追求。さらに陶壁など、空間と結びつく仕事にも挑戦するなど、作家としても精力的に活動しました。最盛期には10人ほどのスタッフを抱え、窯場は活気に満ちていたといいます。
現在、陽和工房を率いる出さんですが、もともと陶芸に強い関心を抱いていたわけではありませんでした。大学では法学部を専攻し、将来について明確な進路を描けないまま学生生活を送っていました。
「『卒業したら北海道へ行って、馬と過ごすわ』って親父に電話したら、『ええ加減なことを言うな。一回帰ってこい』と言われて。中学や高校の頃は興味なかったんですけど、その頃になると、焼きものにまったく興味がないわけでもなかったんですよ」
外へ修業に出ることも考えましたが、「変な癖をつけられても困る」という父の考えもあり、そのまま窯に入ることになりました。
「後々聞いた話なんですけど、自分が帰ってくることを見越して、一人分の席を空けとったらしいです。いろいろ縛られとったら反発したかもしれんけど、大学も好きに遊ばせてもらったし、素直に言うことを聞けました。全部、親父の手のひらの上ですよ(笑)」
職人たちとともに、うつわづくりの基礎から始めました。父からは、「1個つくりたければ100個つくれ」という言葉のもと、ろくろによる数物づくりを徹底的に叩き込まれます。見本と寸分違わぬうつわをつくる訓練を重ね、身体で覚えていきました。
「陶芸家として一人前と認められたのは、40代半ばを過ぎてからかな」と、出さんは振り返ります。
1999年には、安芸市の支援によって「内原野陶芸館」が建設されました。窯場と工房、展示販売、陶芸体験を備えたこの施設は、観光と工芸を結びつける拠点として整備されたものです。
現在の陽和工房は5名体制で運営され、受注生産を中心としたものづくりを行っています。旅館や料理店、個人客からの依頼に応じ、一点からでもていねいにうつわを仕立てる姿勢は、創業当時から変わっていません。
釉薬には、高知の名物「カツオの藁焼き」で生じる藁灰を再利用するなど、地域とのかかわりを大切にしています。天然物ならではの雑味や、白く濁ったような色合いが魅力なのだとか。
焼成には普段はガス窯を使用していますが、年に一度、3月末に県内の窯元が集まり、登り窯での焼成を行います。そして4月下旬には、登り窯で焼いた作品の展示販売をはじめ、ステージイベントや体験教室、飲食ブースなど、盛りだくさんな内容の「登り窯フェスタ」を開催。地元の人々に親しまれる催しとなっています。
出さんが作品づくりで大切にしているのは、「日常の食卓で自然に使われること」「どこか土地の匂いが感じられること」です。洗練されすぎない釉調や、素朴さの残る表情のなかに、内原野という地域の記憶を宿したいと考えています。
並行して、父と同じように、作家としてのスタンスでも製作を続けています。「日本伝統工芸展」では、2009年から4年連続で入選を果たし、2011年には正会員に認定されるなど、その技術は高く評価されています。さらに、地元への貢献も大きく、2024年には父と協働し、安芸中学校の新校舎の玄関ホールのために、約150枚の陶板を貼り合わせた壁画を製作しました。
また出さんは、安芸市観光協会会長として地域振興にも深く関わっています。観光客の滞在時間を延ばす工夫や教育旅行の誘致、インバウンドを高知県東部へ導く取り組みなど、焼きものの枠を超えた活動を続けています。“工芸が地域の魅力を伝える入口になり得る”という実感が、こうした動きを支えています。
Wired beansのプロジェクトへの参加は、内原野焼としての個性をあらためて見つめ直す機会になったといいます。
「世の中に内原野焼と、僕自身を知ってもらえるチャンスやと思いました。ただ、Wired beansのウェブサイトも見たんですけど、他の産地と比べると、内原野には明確な産地の色がない。それならあえて、田舎の匂い、地元らしさを強みとして捉え直し、提案してみようかと考えたんです」
〒784-0044 高知県安芸市川北乙1607-1
0887-32-0308

約200年の伝統を受け継ぐ内原野焼。陽和工房の西邨出(にしむら いづる)氏が手がけたマグは、木灰やワラ灰を原料にした釉薬が生む、温かみのある素朴な風合いと端正な造形が特徴です。内原野焼の伝統を守りながらも、現代の暮らしに上質に寄り添うマグです。「卯の花(うのはな)」「白茶(しらちゃ)」「群青(ぐんじょう)」の3種の釉薬を使用し製作しました。
現在、出さんにとって大きな励みとなっているのが、三男が陶芸の道を志したことです。
「子どもが3人おりまして、上の2人は親の背中をきちんと見て公務員になりました(笑)。それが3番目が、高校でバスケ部やったんですけど、引退したら急に美術部に入って、『岡山にある陶芸が学べる大学を受験する』と言い出して。まだ先のことなので、どうなるかはわかりませんけど、僕自身のモチベーションにはなりますよね」
かつて父の滋さんがそうしてくれたように、出さんもまた、息子の席を準備して待っていることでしょう。
現在、内原野焼には陽和工房を含めて4つの窯元がありますが、実質的に稼働しているのは陽和工房のみとのこと。そうした小さな産地だからこそ、土地と人の距離が近く、暮らしのなかに焼きものが息づいてきました。
滋さん、出さんの歩みは、そのまま産地を守るということにつながっています。そのバトンを次の世代へ渡すために、出さんは、自身の名前で発表する仕事と、工房として継承していく仕事を分けていく構想も描いているそうです。